Story

私のストーリー

私の仕事への想い、そこに至るまでのいろんな出会い。
第三者目線の「人生ストーリー」として紡いでいただきました。

一人ひとりの色を引き出し、つなぎ、デザインするという生き方

武田さんが、仕事やクライアントさんのことを語るときの目は、何かに似ている―武田さんの話をたっぷり聞いたあと、私はしばらく考えていた。楽しそうな、いろいろなことに思いを巡らすような、そしてちょっとうっとりするような目。

―そうだ、これは、恋する乙女の目だ。熱っぽく、愛おしさにあふれた言葉で好きな人のことを女友だちに語るときの、あの表情だ。

そう分かったとき、武田さんが「仕事」にどう向き合っているかが感覚として理解できた。
彼女は恋をしている。今の仕事にも、そこで関わる人たちにも。

建築の世界でキャリアを積むなら

いろりデザイン室代表である武田えいこさんは、一級建築士でありながら、現在は女性起業家たちのデザインを軸としたパーソナルブランディングを主な仕事としている。その延長線で、小規模な店舗やカフェ、オフィスなどの企画から内外装デザイン・工事監理・スタイリングまでも請け負うことがある、というのが今の状況だ。

一級建築士といえば、建築を専門に勉強してきた人たちのみに受験資格が与えられ、それでも合格率は10%台という、取得がとても困難な資格だ。その試験にストレートで合格し、大学院卒業後、官公庁での建築職に就いた武田さん。建築業界では、いわばエリート中のエリートだ。

「理系のなかでちょっと面白そう、くらいの安易な気持ちで選んだ」という大学の建築コース。アーティスト気質な同級生に囲まれ、「自分には人とは違う面白い発想はない」と感じ、得意な勉強でキャリアを積むなら?と考えた末に選んだのが一級建築士になって官公庁に勤めるという道だった。

「仕事内容は特に面白くはないけれど、安定した職業だし、まぁそんなものか」と思って仕事を続けて6年。自覚症状のない腎臓の病気を患い入院することになった武田さんは、自分の本当の気持ちに気がついた。

「入院が決まったときに、仕事を休めるのが嬉しい!って思ったんですよね。ちょうどその頃心理学を学び、自分が本当にやりたいことを考えていた時期だったのもあり、え?入院してまで休みたい仕事って何やねん!?って」

決めたら早い武田さんは、官公庁の仕事を辞め、建築士のスキルを活かしていろいろなことをやってみようと設計事務所に転職。2度目の転職先であるリノベーション専門の設計事務所で、自分の「やりたいこと」を見つけた。

元からある個性を活かす

その設計事務所は、古いビルを丸ごと1棟リノベーションして新しい価値をつけ、テナントやオフィスを入れるというプロジェクトに、企画段階から関わるという仕事を受けていた。そのような仕事を知り、武田さんは「ずきゅんときた」のだという。

思えば、幼い頃から暮らしてきた家は築70年の数寄屋建築。家族構成が変わるたびにリフォームをして大切に住み継いできた祖父母や両親のスタンスを、とても素敵だと思っていた。

元ある建物の個性を活かしつつ、新たな価値を見いだす「リノベーション」は、彼女のなかに刻み込まれていた価値観と、これから目指そうとしているぼんやりした何かにフィットするものだった。

官公庁の仕事を辞めるきっかけとなる気づきをもらった心理学の先生に「あなた、個性を隠しきれてないよ」と言われていた。「個性」は武田さんにとっては大きなキーワードだったのだ。

目標を見つけると一直線に突っ走る彼女は、大好きだと思える仕事に夢中になった。そして、頑張りすぎるあまり、身も心も削ってしまう。

30代の10年でなんと10回の入院。まだ子どもも小さかった彼女は、働き方を考え直す必要があった。

「デザイン」の幅を広げて

仕事も人も大好きな職場だったが、会社という「枠」が苦しいと感じるようになった。2人目の出産と同時に設計事務所としての独立を決意。しかし、一件が大きな仕事となる建築の仕事を、いったいどうやって手にしていくのか、自分でも全く想像がついていなかった。

そこで大きな転機となったのが、CITTA手帳の青木千草さんとの出会いだ。「未来を予約する手帳」として今や多くの支持を得るCITTA手帳だが、当時は拡大期。
子育てと仕事でいっぱいいっぱいになっていたときの自分が、考え方ひとつで暮らし方は変わると実感したCITTA手帳。教えるというよりも、その効果を自分が体現化して進んでいこうと決め、手帳講座を開催するようになった。

すると、新しい道が開けた。出版が決まった青木さんから急なフライヤーの制作などを依頼されたのだ。

「そういうデザインは全くやったことありません、って言ったのに、『いや、できる!明日までに作って!』なんてむちゃぶりされて(笑)」

それが、武田さんが初めて建築以外で受けたデザインの仕事となった。

幸運の女神には前髪しかない、などと言うけれども、武田さんは押し切られるかたちでしっかりと前髪をつかんだ。建築以外のデザインの世界に足を踏み入れることになり、その先には、citta cafeや株式会社CITTAのオフィスビルの空間プロデュースという、もともとのスキルを活かせる仕事や、そこに集まる素敵な人たちとの出会いが待っていたのだ。

集まるのは、夢を持ち、それを叶えようと行動に移す女性たち。自然な流れで、女性起業家たちが一歩踏み出す際のデザインのサポートをするようになった。

自分がいちばんのファンに

2021年、小さな事務所を構えると、いろりデザイン室にはさまざまな女性クリエイターたちが集まるようになった。紹介による仕事の依頼が増え、お客さまとして知り合ったクリエイターに、次のプロジェクトではチームメンバーとして、一緒に新たなクライアントのサポートを依頼する、という理想的なタッグが組まれるようになってきた。

「私ね、気がついたらお客さんの商品、全部買ってるんですよ。サポートしているうちに、本当に大好きになって、私がいち早く欲しい!!って感じになっちゃう」

そう言って、きれいに並んだ歯を見せて笑うその表情は、見ているこちらが嬉しくなるほどのいい笑顔だ。

武田さんには「もともとある個性」を引き出し、それにほれ込むことができる才能がある。だからこそ、その個性を最大限に活かす世界観を表現することができるのだろう。「ねぇねぇ!見て!こんなに素敵なの!」そんな気持ちのこもったデザインは、「新たな価値」となり、多くの人に届くこととなる。

「集うこと」とエネルギー

彼女が「クライアントの個性」をデザインへと変えることができるのは、もちろん色彩をはじめとしたデザインにまつわる深い知識があるからなのだが、20代の頃からよく訪れていた海外で磨いてきた感性も大きいのだろう。

「有名な誰それの造った建物、とかには全然興味がないんです。私が海外へ行くときは、現地の料理教室に通ったり、市場に行ったりしてインスピレーションを得てきます。東南アジアのエネルギッシュな感じとか大好きですね」
この「エネルギッシュ」も、武田さんにとってキーワードのようだ。

友人が移住を検討している、琵琶湖に浮かぶ人口200人ほどの島、沖島。その友人と沖島を訪れた際も、この種の「人が集まることによるエネルギー」を感じ、ワクワクしたのだそう。

「過疎化が進んでいる島なんですけど、移住を応援してくれる島の方達に出会って。仕事でもないのに親戚の人と引き合わせてくれたり、空き家を紹介してくれたり。そうしたらリノベーションしたらすごくいい空間になりそうな古い家があったりして…そういう『情熱が集まるところ』に関わりたいという欲望があるんです」

有名とか無名とか、そんなことは武田さんには関係ない。個性が単なる個性で終わらず、その個性が集うことで新たな「エネルギー」が生まれる―彼女がワクワクするのはきっとそんな場面に遭遇したときだ。

そして、いろりデザイン室は、そういうエネルギーが生まれる「場」になっている。

共創する働き方を目指して

自分には優れた個性なんてない―そう感じる人は多いとだろう。でも、そうじゃない。人にはみんな個性があり、その価値をうまく表現できれば、必ず道は開けるのだ。武田さんは自らの人生で、そのことを証明している。

「お客さまにかなえたいことがあって、それをカタチにするサポートをして、行ってらっしゃーい!と送り出す。それが私たちの仕事だと思うんです」

何か夢があったとして、ひとりで黙々と目指すのと武田さんのような人が仲間になってくれるのとでは、ゴールへの距離もその道のりの楽しさも、全く違ってくるだろう。とびっきりの笑顔で、前に進みたい人の背中を押せるのは、武田さんに備わった、すばらしい個性なのだ。

―と、ここまで文章をまとめ上げたあと、頭のなかが武田さんの余韻でいっぱいの状態から、ふと我に返った。おや?私こそ、武田さんに恋をしているようではないか……。ミイラ取りがミイラになったみたい。
いろりデザイン室に集まる人たちは、きっとスタッフもお客さまも、こんな感じで人に惹かれあって共創しているのだろう。それって最高に素敵な働き方のように思えるのだ。
【ライター/石原智子】