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実家にあった大切なもの

「しょうわのいえやな」 7歳の娘がこれぞ昭和、と想像するのがここらしい。

私の実家、築64年。 久しぶりにふらっと実家に帰ってきた。 父よ、父の日だということをすっかり忘れてて、手ぶらでごめんよ。

私は6月の実家が好きだ。 祖母の命日、弟1号の誕生日、弟2号の誕生日、父の日(忘れてたけど)と家族のイベントが集中している。 そしてなんといっても雨がとびっきり似合う家なのだ。 中庭の柿落としの上には大きな桐の木が鬱蒼と茂っていて、雨が本当に美しく見える。

帰ったらまず仏壇に手を合わせる。 おばあちゃん、ただいま。 子供たちもチーンと真似をする。

父が歩けばノシノシ、母が歩けばドタドタせわしない。 歩けば性格判断ができる無垢の木の廊下。 長い廊下で子供たちがスーイスイとスケートの真似をすると、棘がささる。 土壁をついつい爪でカリカリしたくなる子供たち。 わたしも小さいときによくやった。 「すりあしで歩いたらあかん!」 「壁をカリカリしたらあかん!」 ばぁばになった母は昔と変わらず元気だ。

私たち家族が泊まりに行くと、仏壇のある座敷に家族4人分布団を敷いて寝る。 古い樋をつたう音、がたつく建具の音を聴きながら眠りにつく。

朝起きると、チュンチュン鳥のさえずりが聞こえる。 窓の外に広がる見事な松の木と青紅葉が目に飛び込んでくる。 今日は気持ちのいい朝だった。

なんて贅沢な空間なんだろう。

わたしは歳をとったんだろうか。 若い頃は、この家の良さがさっぱりわからなかった。

なんでここに壁があるんだ?とつっこみたくなる無駄に長すぎる家事動線。 冬は隙間風ビュービューで部屋移動のたびに心臓が止まりそうだし、 夏は毎日蚊にさされながら庭に水やりをしないといけない。 屋根裏でノコノコなんかの音がするから怖くて、 子供たちは絶対にひとりでトイレに行けない。 雨漏りのたびに屋根も壁もつぎはぎをする。

忙しい日常を送っていたら、「めんどくさい」「不便」でしかないこの家。 都会でのマンション暮らしに憧れて、20年前に家を出た。

だけど、久しぶりにこの家に帰ってきたら感じるのだ。 この家は生きてるなって。 木も葉も土壁もしっくいも全てが呼吸をしている。 父と母の2人暮らしになった今も、大家族だった30年前の記憶を残しながら。

いつもピカピカに磨かれた長い廊下。 ペンっと音をたてて点くレトロな照明。 この家を長年守ってくれてる神棚と仏壇と。 季節の花が生けられた玄関。 誰の趣味なんだかわからないが飾られた大きな絵画や壺。 やたらと多い豆皿にとろこ狭しと並べられたごちそう。

合理性とは真逆なところにあるのだ。 ここに来たら思う。 なんて私の日常が合理性優位なんだろうと。

そして、最近感じること。 この非合理の中にこそ、人のぬくもりや記憶があるんじゃないだろうか。 私はここに来たら、ご先祖さまが守ってくれているのを感じるし、 大好きだったおばあちゃんがそばにいるのを感じるし、 小さな頃の記憶や家族のぬくもりを五感で感じる。 前のめりだった心をすっとニュートラルに戻せる場所。

まだ現役で仕事をしている父と、それを支える完璧な家庭の人、母。 外で仕事をして、帰ってきたくなる家ってこういう場所よねーって思うのだ。 ま、こんな生活、決して真似はできないんだけども。

朝ごはんに炊き立ての白ごはんと母のだし巻き卵を食べた。 ごちゃごちゃ頭で考えていたことがどうでもよくなった。 低気圧で頭痛いなぁと思っていた昨日のわたしはどこへやら、充電満タンになった。

この1年、コロナを期に私の価値観は大きく変化した。 時間の使い方、人との関わり方、住む場所、お金の使い方。 日本人の精神性や季節のうつろう素晴らしさを改めて感じるようになった。

今まで見えてなかった大切なもの。 でもね、ここに帰ってきたら、 「あっ、昔からあった」 そんな感覚。

わたしが建築の世界に入ったのも、こういう家で育ったからかもしれない。 ルーツがここにあるのは間違いない。

空間はその人のストーリーを生み出す。 家族の歴史になったり、先祖代々受け継がれるDNAとなる。 「しょうわのいえ」この感覚をわたしはどうやって子供達に伝えられるだろう。

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